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トップ > ビジネスマントップ > 社労士が『大学』を学ぶということ ~名古屋勉強会での気づき~

社労士が『大学』を学ぶということ ~名古屋勉強会での気づき~

社会保険労務士 小岩広宣の「勝ち組」へのステップアップ法!

昨日は名古屋で勉強会に参加しました。
楡の木フォーラムという社労士の勉強会の仲間に入れていただいているのですが、昨日は年に一回の名古屋開催でした。

午前中は陽明学の啓蒙活動をされている、難波浩気さんからの四書のひとつである『大学』の入門的な講義。
「そもそも、大学とは?」から始まって、現代のキャリアデザインを考えるにあたってのヒントまで、とてもコンパクトでありつつ、示唆に富んだお話しがありました。

江戸時代は上級武士の子どもは無論のこと庶民の子どもに至るまで、日本の教育はとても進んでいたといいます。
「小学」は8歳から、「大学」は15歳からといいますから、それぞれ今でいうところの、小学校、中学校に相当する教育が、すでに普及していました。
だから、商人の丁稚(でっち)はどんなに幼くても、お客様からの注文を腰に付けている帳面に書くことができたといいます。
これは、本当にすごいことです。

唯一の違いは、現在の教育が専ら「術」(技能)に偏っているのに対して、江戸時代の教育は「術」に加えて「学」(生き方、人間性)の要素が強かったこと。
しかも、「学」を学んで、初めて「術」に進むことができる、という順番。
「学」の部分に相当する入門書こそが、『大学』であったといいます。

ただ、『大学』は単なる入門書ではありません。
学ぶことの入り口でありながら、人間としての「最終的なあり方」が語られているのです。
「止至善」(最高の善に至り、それを続けていくという状態)というそうです。
8歳から、このような生き方の理想、そして心の状態を意識して、学びを続けていく。
いい意味で東洋的で、最初だからこそ、あり方や精神を大事にする発想。

なので、「格物」から「平天下」に至るまでの8つの条目は、決して階段的な“ステップ”ではなく、それぞれが等しく結びついている、もっといえば「全体でひとつ」なのだといいます。
だから、極端なことをいえば、「格物」はまだ学びが弱いけど、「平天下」については十分な理解がある、といったことが起こりうるのです。
これは、本当にそうだと思いました。





少し話は外れますが、昔を振り返ると、私などは学校の勉強で、得意科目は何も勉強しなくてもクラスで一番、苦手科目はそもそも学ぶ姿勢自体が弱い子どもでした。
ある先生からは、「君はめずらしい。みんな高校に上がったくらいから、得意不得意がばらつく子が多いのに。極端だよ」と何度もいわれました。
でも、社会科とか国語とか、勉強しなくてもいい成績がとれる得意科目があると、不思議なものでそこから横展開にみえてくる世界があったような気がします。
ありがたいことに、社会科の先生からは卒業後も指導していただくくらいに可愛がってもらい、国語の先生とは交換日誌的なやりとりをずっとしていただいていました。

今回講師の先生からは、「科挙」制度の基礎となった朱子学が階段状のステップアップの仕組みだとするなら、陽明学はそれぞれの要素が並列の関係にある仕組みに近いという解説がありました。
だから、1が終わったら、2そして3へと進むとは限らず、1が分からなかったらいきなり10から始めてもいいし、どこから学んでも自然に横展開していけるのが陽明学。
ちょっと例は違うかもしれないですが、似ているなと思いました。
私の子どもの頃の感覚、これに近いです。

陽明学で一番上に位置するとされる「平天下」では、「世の中の平和」が究極の目的になります。
ここでは、「自分の心」を尺度として、どこまでも「人の心」に尽くしていく。

講師は、宮沢賢治の幸福論を引用されました。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」。

 

「世界全体が幸福になる」ではなく、

「世界がぜんたい幸福になる」。

 

この違い、さらっと話しを聴いていたら、見逃してしまいそうでした。

私なりの理解は、前者は個人の観念の中での絶対的な幸福。

だから、これによって立つと、人それぞれ幸福をめぐる価値観は違うし、しかもそれらは容易には融合することなく、別個に存在している。

 

それに対して後者は、その人の人格(個性)に立脚していながら、外に向けて解放されている幸福。

それぞれが異なる要素でありながら、すべてが自然の中に備わっているのであり、したがって自己(内部)と他者(外部)との境界線がない。

私の幸福も、あなたの幸福も、どこか同じ世界の中でつながっており、もっといえばすべてがあって「ひとつ」という世界観。



 




午後の講義では、『大学』を使った社員教育を実践され、働きやすく生産性の高い会社として厚生労働省からも表彰されている河合電器製作所の佐久社長から、貴重な事例紹介をいただきました。
佐久社長は、まる2日かけて、『大学』を用いて従業員さんとグループワークを行われているとのこと。
今回の研修でも、参加者全員で『大学』を唱和しましたが、これがまず入り口。
 

最初は少し不思議な感じですが、やってみるとなぜか心が清らかになり、なぜか内から力が湧いてきいて、そして全体が和する感覚を感じることができるのです。
漢文の書き下し文の意味を追いかけるということ以上の、身体の内からエネルギーがみなぎり、みんなと一体になれる感覚。

まず実践の意味を、身体で痛感しました。

「明明徳」(まず自分が率先して徳を行い)
「親民」(民=従業員に愛情と思いやりを持つ)
「止至善」(最も高い善を実践する)

の3つが基本である『大学』の思想。
これは君主や権力者がまず襟を正して、率先して全体の幸福のために尽くしていくべし、というポリシーが流れていると思います。
だから、そもそも経営者には耳の痛い話し。
『大学』をベースの従業員教育をしていくと、従業員から「社長、それは『親民』じゃないですよね」と指摘される場面もあるでしょう。
講師も、そういった実例を紹介されていました。

「だれもが人生の主人公」となれる会社づくり。

『大学』という人生の羅針盤ともなるテキストからみんなで学び、ともに実践することによって、みんなが「心からやりたいこと」について考え、自然と共有していくことができるといいます。

人にはそれぞれ“周波数”があり、これが違うとストレスをともないます。
でも、難しいのは、社長や上司が一方的に同じ“周波数”を求めたり、部下の“周波数”を否定しても、何も生まれません。
こんな経験をして、失敗した記憶を持つ人も少なくないでしょう。
その点、『大学』というテキストには、不思議な力が備わっているのです。

社長がだれより「親民」であることに取り組み、だからこそ会社として「止至善」を目指すことができる。
これこそ自然にかなった会社、組織なのだと思います。





後半、京都の「一燈園」での教育が取り上げられました。

一燈園では、自然にかなった生活、所有せず、社会に奉仕するという理念をベースにした教育が行われています。

こうしたポリシーに共鳴した人たちが、全国から学びに来ているそうです。

その教育論としての、ひとつのトピック。

人間は、「正しさ」に軸足をおくと、他人とぶつかります。
私の「正しさ」と、あなたの「正しさ」は、時として激しく異なる。
結局どれが「正しい」かは容易には決め難い。

かといって、軸足がなければ教育は成り立たない。
私たちの人生も、立場や考えが定まらなければ、豊かなものにはならない。
それでは、教育の軸足とは?

一燈園では、「大自然に適う」ことを軸足にしているそうです。
あえて「正しさ」を語らないからこそ、本当の意味の軸足が持てる教育。
この点について、講義中、同じグループの仲間たちと討議しました。
いろんな意見が出て、それ自体とても学びになりましたが、私なりの仮説はこう。

AさんとBさんの考えが違ってぶつかる。
Aの「正しさ」とBの「正しさ」のどちらが真実か、軍配をあげるのは難しい。
そもそも何が真実か判断することは、そう簡単ではない。
こんなとき、世間では「Cさん」が登場することが多いが、果たして「Cさん」が本当の意味で第三者といえるのかどうか、それ自体難しい問題となる。

「大自然に適う」というのは、きっとこれらとは違う。
そもそも、Aさんも、Bさんも、「大自然」の中には入っているのです。
当事者も含めて、相手方も含めて、すべてが自然の中の一部。
全部がつながって、そもそも「ひとつ」なんだという考え方こそ、「大自然」なのではないでしょうか。
スケールが違うし、思考回路が違うし、ある意味、次元が違う。
私たちの日常を思い返すと、少し恥ずかしくなってきますね。

ここで、午前中の「世界がぜんたい幸福になる」という世界観と、シンクロしていることに気づきました。
両者は、明らかに同じ「ひとつ」という意識をあらわしていますね。




社労士の仕事の中にも、毎日のようにAさん、Bさんが登場します。
紛争性のある事案となると、やはり一方当事者の「正しさ」によって立つことになります。
法律論としてはやむを得えないことですが、これでは本当の解決にならない、という光景を私も開業して15年の間に何度も目にしてきました。
場合によっては、社労士がCさんの役割を果たすこともあるにせよ、これだってやはり多くの場合、本当の解決にはなりません。

社労士は法律専門職のひとつですが、当たり前ですが弁護士ではありません。
だからこそ、紛争性のある問題についても、みんな自らの立ち位置に悩むのです。
社長と契約している顧問だから、会社の代理人というスキームは、現実ではあるのですが社労士の場合はそう簡単にも言い切れない。
人というのは、とかく難しい。
従業員の成長、会社の発展。それをだれより願い、実践するのが社長。
この姿の延長線上にしか、社労士は登場しても、結果的に意味はない。

「明明徳」
「親民」
「止至善」
 

これらは、社労士の仕事にとって、すべての根源。
労務とは“処方箋”だといいますが、それだけに答えは簡単に出ないことが多いです。
Aという社労士とBという社労士で、まるで違う。
これでいいと思うし、そうでなくては対応にならない。
でも、だからこそ、“根っこ”を意識することは何より大切なのでしょう。

個人の主観を「権利」(人権)としかとらえない視点は、あらためて万能ではないですね。
自然人に天賦の権利が備わっているという仮説は、すぐれて合理的な進歩の源泉となったかもしれないが、根本的な限界をはらんでいるのではないかと思います。
人間はどこまでいっても全知全能にはなれず、全身全霊を目指す世界の先に幸福があるのでは・・・

 

社労士が『大学』を学ぶということ。
名古屋勉強会での気づきは、あまりにも大きかったと思います。
これからの社労士人生に、しっかり生かしていきたいです。

 


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小岩 広宣さん

株式会社ナデック代表・社労士小岩広宣の公式ブログ。人材ビジネスの専門家である小岩広宣が、派遣会社や派遣社員のために日々奮闘しているナマの姿をつづっていきます!

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